伴伊佐雄君(1年6組-2年7組-3年6組)
卒業直後本宮山に登る。後列右から5番目が伴
二年生、「糞尿譚」中央近くのハンチング(刑事役)が伴
三年遠足(舘山寺・浜名湖)藤田君と共に落水し、奇跡的に
助かる。その後の人生50年以上を送ることが出来た。
詳しくは秘密である。
本宮山に登頂の途中、鈴木先生と。
3年運動会(3人4脚のゴール寸前)
練習中は最高に気が合っていたが、本番でつまずき
悲劇的な姿となった。
三谷の海岸に海水浴に言った時。
右側の左手が伴
2年バレーボールのクラスマッチ
左側で守備の姿が伴
3人4脚のあと応援席で。前列左が伴
右足の親指の包帯が痛々しい。
「ポパイ」の初期の頃西山氏と
3年6組(担任鈴木先生)後列2列目
右から5番目
仮装行列「糞尿譚」拡大写真中央のハンチング姿が伴
海水浴、右から3番目が伴
「ポパイの会」初期の頃3年6組が中心で始まる
前列右端が伴

伴伊佐雄君の想い出(U)

 先月、伴が私のことを最後まで「カツナダ」と呼んでいたことを書いていたら気が付いたので続きを書きます。
それは高校の時の呼び名を顧みて考えると、色々な型が有ることに気が付きました。
姓の呼び捨てから名前の呼び捨て、あだ名のまま、君付け、さん付け、と色々有ることに気が付きました。今になって何だと思われるかも知れませんが、
そのことによって私たちの高校生活の一部が振り返ることが出来る気がしたのです。
 第一に姓の呼び捨て、例えば私の場合 伴、田代、太田、福住、松坂とか、何も付けずに呼び捨てで呼ぶ場合、かなり同等で親しい感じの間柄です。
 同じ名字が多い人の場合,名前をそのまま呼び捨てにすることがとが多いようです。 鈴木、小林、田中、近藤等がそうです。至、宗男、範夫、伸吾、茂雄、正介、
などで名前にちゃんやさんなど付けた場合が有ります。これら名字と名前の呼び捨て型は三文字いないで呼びやすいことが考えられます。清ちゃん、しげさん、
よっちゃんなど音からくる親しみを持った小さい頃からの呼び方の人もいます。
 あだ名そのままで名字が忘れられてもそのまま残っている人がいます。「玄ちゃん」「モウさん」「カッチャー」「アンチャ」「ヤッスー」「サイサイ」「メグさん」
「アキサー」「アカサー」「ユーチャ」「テッチャー」「ミキチャー」「エノサー」等で、ちゃんと言わずチャと短く呼ぶかチャーとかサーとのばすことが多いようです。
 あだ名に近いものもあります「マッター」「ジンベー」などは特殊な様な気がします。
ただ、唯一「牧さん」だけは特別の様な気がします。もともとその風貌とその言動は親分肌で有って、誰しもが「牧さん」と呼んでいます。牧、とか牧君とか
聞いたことが有りません。最初から「牧さん」です。
 何故か正当かも知れませんが、君付けの人もいます、杉浦君、西村君、石井君、牧野君、石田君、藤田君などです。意外とこの人達を呼び捨てたりさん付けで
呼ぶと変に違和感が有るのは私だけではないと思います。
 女性の場合殆どがさん付けですが、何故か「ミヨちゃん」「アイちゃん」などは名字が何であるか解らないけれど、あーあの人だと分かる呼び名もあります。
これらのことから推察するに呼び名の流れは、呼びやすい三文字が多く、名字自体の長さ、2文字、3文字、少ないほど名字が使われ、呼びにくいものは
あだ名や名前に移るのではないかと思います。
 勿論名は体を表すと言う様に、逆にその人の性格が名前となって呼ばれるのではないかと思われることもあり、高校生時代の呼称は、それぞれの性格を
表現したようなところが有ると思われます。
 個人情報何とか言ってその内容は言えませんが、人の持つ容姿、容貌、性格、行動状態等に合わせて自然とその人に合った呼び方になるようです。
 因みに私の場合の呼び名の例を羅列しますと次の様なものが有ります。
「近藤」「近藤さん」「近藤君」「勝洋」「勝洋君」「勝洋さん」「かっちゃん」「コンさん」「コンちゃん」「コンスケ」「コーさん」「コーちゃん」「こぶさん」「コブキー」「カツナダ」等です。
卒業後で名字名前以外で呼ばれ形は「コーさん」と「コンさん」が多いようです。
                                                                                               (完) 近藤勝洋

伴伊佐雄君の想い出(T)



  伴伊佐雄君が亡くなってからもう一年近くになります。彼を偲び、また追悼の意味を持ってこの文を書きます。
 彼と会ったのは勿論私と彼が時習館に入った時からですが、彼は確か一年6組で私は 3組でしたので殆ど
 知りませんでした。2年7組で一緒になりました。
  勉強の方は良く似たようなもので、余りパットしない方でした。 しかし運動は抜群でサッカーを初めソフトボール、
 バレーの競技では良く活躍しました。
  少し小柄な彼は余り目立たないような感じですが、実際の競技ではいつも中心的な役割をしていました。頭が少し大きめな感じでした、
 また手の方も大きく(足は余り記憶にない)末端肥大症では無いかと思うくらいでした。卓球部とのことですが卓球をしたところを見たことはありません。
 あの大きな手にかかるとバレーボールの玉が吸い付くような感じで、ソフトボールなどはグローブが無くとも彼の手の中にスポット入り取られる感じでした。
 クラスマッチではサードを守り守備のかなめをしていました。ボールを捕る姿勢からファーストに投げる格好は正にチームを引っ張る力を持っていました。
  バレーでは今で言うトスを上げる重要な役目を果たし、スパイクする為のいわゆるセッターをこなし、競技の流れを指導していました。
 競技者の誰もが彼を信頼し、プレーに専念出来たことはよく知っています。
  サッカーでもボールを維持し、周りの判断よろしく攻めてくる姿は今でもその迫力と共に目に浮かびます。
 いずれの競技に於いても、一途にそのことに集中する精神的なものは優れたものがあり、実社会に出ても優れた仕事をしたようです。
  私がニューヨークに行った時、丁度滞在中で、夜ナイトクラブへ連れて行ってくれました。何やら英語でジョークを言うショウが有りましたが、
 彼はそれを聞き、自然に理解して笑っていました。 私は何も解らず、さすがだなと感心したことを覚えています。
 余談ですが彼を呼ぶのは今でも「伴」と呼び捨てです、伴君、とか伴さんではありません。彼はそう呼び捨てられても、心大きく受け入れるタイプでした。
  何故か私のことを「カツナダ」と呼んでいました、どこかで間違えて覚えたのでしょうが、亡くなるまで訂正をしませんでした。彼以外にそう呼ばれたことは有りません。
 あの大きな顔の中の鋭い目とその中に優しさが込められた感じは誰からも慕われ、また強さを持った行動は惹かれたに違い有りません。
 強い言葉の後に、ニヤッと目を細める仕草には、誰もがその奥にある暖かな気持ちを感じさせるものがありました。
  彼のような強靱な男が死ぬとは信じられない思いですが、人は誰もがその運命から逃れられないことを強く知らさせられた思いです。
                                                                                           (完) 近藤勝洋



初期の同級会(3年6組)


同上


強力メンバー?

遠足舘山寺(近藤が3人?)



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