忘れない母の一言 (山本満保)

エッセイ   「忘れない母のひと言・先生の体罰そしてパワハラ」

辛かった母親の言葉 

 私は、生まれる前に祖父を無くし更に4才の時父を亡くし、母、弟、祖母と4人家族の生活を送りました。母は農作業に忙しく、私も弟もよく手伝いました。
 しかし生活は貧しく、小学生の頃だったと思いますが、「子どもなんか居なきゃ良かった」と言われました。
 60年近くたった今も覚えているのですから、私の心も相当傷ついたと思います。それから中学生時分だったと思いますが、私に「立派な家を建てよ」と言われました。しかし、自分は今働いて稼いでいる訳でなし、戸惑うばかりで、心に重くのしかかっただけでした。このようなことはやっぱり、実際に就職し、相当の給料を貰うようになって、本当に家を建つことができるようになったことを見計らって、言って欲しいいものと思います。
 こうした経験から、年少者、幼児などには、大人と同じ感覚でものを言うのでなく、年齢、能力に応じた言葉でなければいけないことを知りました。

忘れられない体罰 

 私が小学2年のときですから、50年以上も前になります。
 児童の男の先生と女の先生に対する態度に違いがあり、女の先生を甘く見る傾向にありました。そのようなこともあって、女の先生の授業時間中に、私は「先生、僕、勉強も運動も皆いや」と言ったらしいのです。すると先生は怒って、私の両手、両足を縛り、廊下に放り出しました。
 私は何気なく軽はずみで言った言葉であり、最初何が起こったかわかりませんでした。  今にして思えば言葉を額面どおりストレートに取れば由々しき問題といえましょう。しかし、本人は何気なく言ったもので学業放棄の意図などさらさらありませんでした。

 先生は、子どもの何気ない発言を重大に受け止めそれなりの処置をしたと思っておられるかもしれませんが、いまだ児童ですから「○○君、今なんと言った」のと注意し、言った言葉の軽率なこと、言うべきことでないことなどについて、しっかり教えてほしかったと思います。

 この他にも、叱られたことだけ覚えて居て、何故叱られたか覚えていないものがあり、
現在はどうか知りませんが、叱る先生と叱られる生徒の側には、かなり、意識、感情の隔たりがあり、そのままではいけないことに注意していただきたいと思います。

先生のパワハラ

私の中学校時代といえば、もう50年以上前になります。
担任の理科担当で、一寸ひねくれた先生が居りました。
その日、私が授業中に生意気だったとかの理由でお居残りさせられました。
そして、「地球が丸いということがどうして分かるか?」と尋ねられました。私は、教科書やその他の参考書に、こちらに近づいてくる船が水平線に段々その姿を現すことを知っておりましたが、そのことを言っても、どうせ、先生は、「そんなこと本に書いてあって、わかりきったことじゃないか」と言われるのじゃないかと先に気を廻して、「海を見ると水平線が弧を描いている」と説明しました。
そうすると、その先生は、私の答に対する応答は何もせず、「馬鹿!、水平線を見ていると、近づいてくる船が段々姿を見せるじゃないか、お前は理科的思考法ができていない」と言われ、私は黙るしかありませんでした。
結局、私の答えに対する正否は未だに分からぬままです。
ところが、つい最近のこと、ある女性にこのことを話したら、「宇宙ロケットに乗ってみれば分かる」と言われてしまいました。
それでも、この先生は私が級長をやっているので遠慮したと思われ、普通ならビンタを食らわせられたところです。