「内藤貴美子先生の想い出」
齋藤秀子(旧姓:市野)
私は3年間音楽部に所属しました。合唱の活動に費やした時間はもとより、
個人的に楽典を少し教えて頂いたり、演奏会を聞いた帰りにお宅に泊めて頂いたことさえあり(僻地の賀茂町からの自転車通学でしたので)、また学校では音楽室の隣にあった音楽教官室に 入り浸ってお話を伺ったりと、多くの時間を先生の下で過ごさせて頂きました。 皆様の中には、音楽の授業は選択しなかった、音楽部など全く関係無かったと
いう方も多くいらっしゃると思います。そのような方々も、校歌を指導された先生の歌声は、 よく覚えていらっしゃることでしょう。(♪み~ヒッよ~ のうりょーくの~♪)あのお姿は 忘れられませんね。
ある日、先生から「工業高校へ校歌の指導に行くので、一緒に来て伴奏を弾いてちょうだい」と言われ、 お隣の豊橋工業高校へ行ったことがありました。当時の工業高校では全く音楽の授業はなくて、校歌の指導が出来なかったようです。女子生徒も
いない時だったので、珍しい見せ物になった様な雰囲気でした。
工業高校の生徒さんにも、先生の姿はしっかり残ったことでしょう。
音楽部の練習はなかなかハードでしたが、時折遊びに出かけた楽しい想い出も
あります。この写真は、1957年夏、湯谷へ行った時のものです。
湯谷で
湯谷での先生
1958年、念願のNHK全国唱歌ラジオコンクール・愛知県代表になった時は、
伴奏を担当し、緊張もしましたが本当に嬉しい体験でした。
いつもファイト満々でお元気な先生から、ガンバロウ!という精神をたたき込まれた
3年間でした。私達が高校生となった頃は、一般の合唱活動もとても活発になってきた時代で、 多くの職場やサークルで合唱団が生まれました。とくに、1956年は、当地方に おいても記念すべき年となり、多くの合唱団が集まって「東三河コーラス同好会」と
いう組織が出来、“第一回東三河合唱祭”が行われたのでした。
私達はトップバッターで、もちろん内藤先生の指揮で、モーツアルトのオペラ『フィガロの結婚』の中の2曲を歌いました。入学してすぐのイタリア語には
びっくりしましたが、楽しいステージだったことを覚えています。
この「東三河コーラス同好会」の初代会長は、山田昌弘先生でした。当時豊橋に
在住していらして、演奏や教育で著名な方でした。荒道子さんなど多くの門下生が
いらしっしゃいます。内藤先生は特にご懇意な間柄でしたので、時習館音楽部でも指導して 頂いたことが有ります。私は、中学生の時ピアノをしばらく見て頂いてから、
荘良江先生に紹介して頂きました。浜松の荘先生のピアノレッスンに通いながらの
3年間は、時間との戦いで遅々とした歩みでしたが、内藤先生は温かく見守って
励まして下さり、校内演奏会でのソロや、先輩ヴァイリニスト・大岩紀栄さんの伴奏などの 機会を与えて下さいました。 山田先生は、後に名古屋の方に活動の場をうつされて、演奏家、放送タレント、 大学講師、合唱指揮者(1960年東海メールクワイヤーを全国コンクールで 全国1位に)としてご活躍なさいましたが、兵役の折健康をそこなわれたのが もとで、長くお続けになることはできませんでした。1976年大阪でのご葬儀、 1982年豊橋での七回忌の集いに、内藤先生に従って参列致しました。
前列右端 内藤先生 前列右から4人目 荒道子 後列右から6人目私
高校時代に合唱づけになった私は、その後も合唱から離れたことは片時もなく、
今日まで過ごしてきました。大学時代に所属した名古屋の「幸声会合唱団」では、
全国コンクール第2位になりました。
幸か不幸か、音楽教師・合唱指揮者と結婚しました。彼は音楽高校で声楽・合唱を担当し この地域で中心となって合唱活動を続けています。前述の「東三河コーラス同好会」は、 後に「豊橋合唱協会」と名称が変わり、紆余曲折を経ましたが、一応
継続して活動しております。合唱祭だけでなく、ベートーヴェン『第九』モーツァルト
『レクイエム』など大曲にも取り組み、また三遠南信文化交流など巾広い
活動となっています。これらの活動に初期から現在まで少しも欠けることなく関わって来た 唯一の人が彼なのです。 「豊橋合唱協会」が40周年を迎えた時、それまでの活動をまとめようということになりました。
そこで資料をまとめることになったのですが、初期の頃の物は我が
家にあるだけでした。完全ではありませんでしたが、私が物置の中のガラクタと
格闘して何とかまとめました。1998年「豊橋合唱協会40周年記念誌」“あゆみ”ができました。 この写真は、鈴木さんもお書きになった内藤先生の追悼コンサートの折のものです。私はその時、
この「記念誌」を持って行って、“第1回東三河合唱祭”の頃のお話を
させて頂きました。私の持っていたステージの写真を載せてありますが、もとの写真が行方不明に なってしまいましたので、ここに紹介をするのは無理かと思います。(もともと不鮮明でしたから)
内藤先生追悼の挨拶
こうしていろいろなことを思い返してみますと、改めて内藤先生への感謝の気持ちでいっぱいです。
これからも出来る限り続けたいと思っています。多くの人が力を
合わせ気持ちを一つに奏でる音楽は、人に感動を与える事が出来ると信じています。 現在、3つの合唱団に所属しています。去る6月26日、その内の「TFM合唱団」で、
第24回演奏会を東日本大震災チャリティとして行い34万円を義援金とすることができました。
(完)