大林君を偲んで (松坂たかよし)

大林玄ちゃんを偲んで  J11 松坂たかよし

 玄ちゃんのご家族が5年のロンドン勤務から戻られ、同じ世田谷の豪徳寺に住まわれたことから、時々会って飲んでいました。
話題は、時習館在校生時代のことやロンドン勤務時代のことなど、拡がりましたが、いつも玄ちゃんの胸中にあったのは、
昭和20年6月19日の夜(福岡市、静岡市も)、豊橋が米空軍B29の編隊から焼夷弾爆撃を受け、一夜にして焼野原になった
事実をどのように後世に伝えていくか、ということでした。玄ちゃんは、「時習の灯」の編集長として、特集記事にしたいと強く望まれ、
その構想に私も賛同して、準備から原稿作成まで3か月を掛けました。
 時習1回生から11回生の1、000人を時習館名簿からランダムに選び、往復はがきでお訊ねしました。「あの被災した夜、
あなたは誰とどこでどのように行動されましたか?」と。100人の方々から回答が寄せられ、玄ちゃんと一緒に分析に取り組みました。
あの夜、B29の襲来から、家を焼け出され逃げ惑う深夜から未明にかけて、生々しい悪夢のような情景が再現され、「時習の灯( 号 )」に
特集記事として掲載されました。
 玄ちゃんは、姉上を豊川工廠被爆で亡くしています。悲しみの思い出を乗り越えて、これも特集記事にまとめ上げました。
玄ちゃんの優しさと強い意志を覚えます。
 玄ちゃんは, 11回生が卒業50周年記念事業として取り組んだ、時習館とSt. Paul’s Schoolの交換留学の実現にも力を発揮しました。
玄ちゃんと私は、St. Paul’s Schoolを訪ね、スティーブン校長にお会いして、「両校の交流が、日英の次世代の教育に
新たな地平線を拡げる。」と熱っぽく話しました。スティーブン校長も、「私もそれを期待します。今は、高校時代に異文化交流することが大事だ、
という動きが出てきました。大学に入ってからでは遅いと思うのです。」と、応えてくれました。ニューヨークにも勤務した経験をもつ玄ちゃんの
世界観と志が通じたのだ、と今でも思います。
 一昨年でしたか、玄ちゃんご夫妻に誘われて、三軒茶屋キリスト教会の礼拝に参加しました。礼拝のあと、聖路加病院、
日野原重明名誉院長のお話を伺いました。元気溌剌として、生きることの意味と大切さを説いてくれました。
私にとってこれから歩む道を示してくれた素晴らしいお話でした。玄ちゃんご夫妻の思いやりに感謝しています。
 昨年の秋、玄ちゃんご夫妻と食事を共にし、軽く飲みました。談笑のあと元気に「じゃあな!」と声を掛け合って別れました。
 玄ちゃんは、今も私の胸中にいきいきと生きておられます。囲碁の師匠として、海外勤務を経験し、同じ時代を分かち合った
親友として。何か困難が生じたら、「こんな時、玄ちゃんならどうするのかな?」。 
これからも、ずーっと、相談相手になって下さい。                                                                                    (以上です)